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田辺・芳養王子~中辺路・大辺路ルートへの分岐


おすすめルート紹介
芳養王子~田辺市内のウォークルート

田辺市は中辺路と大辺路の別れ道。
北新町にそれぞれへの分岐点を示す道標があります。

中辺路ルートへ
北新町道標を左に進み、栖の口踏切を越え直進。旧国道42号線を渡りさらに直進します。付きあたりに万呂道標があり、「右 くまの道」の表示に従って右に進み、国道42号(田辺バイパス)を横断して万呂王子・三栖王子に向かいます。 (※秋津王子を巡る場合は道標を左に進みます。
紀伊田辺駅~稲葉根王子ウォークマップ

熊野古道ウォークレポート
【中辺路ルート】田辺市内~稲葉根王子

大辺路ルートへ
北新町道標の表示に従い直進し、蟻通神社の前で小路に入り、若宮神社の前から一里塚のあったつぶり坂に至ります。 旧道42号をさらに南進し、大潟神社前の「馬道」、新庄~朝来大谷の連絡道を進むと、道分地蔵に至ります。


芳養王子芳養王子 (はやおうじ)

藤原宗忠が天仁2年(1109)10月に参詣したと日記「中右記」に記すなど、多くの文献に名が残る王子です。
<和歌山県指定史跡>


出立王子出立王子 (でだちおうじ)

熊野詣においてこの地での塩垢離(潮垢離)は特に重要視されたと伝えられており、建仁元年(1201)の御幸記では後鳥羽院に同行した藤原定家が不覚にも風邪をひき、出立での潮垢離を辞退したところ厳しく叱責され、やむなく潮浴びをしたと伝えられています。王子社はもと元町西郷の御所谷附近にあったといわれていますが、現在はこの位置に移されています。
<和歌山県指定史跡>
北新町道標北新町道標 (きたしんまちみちしるべ)

中辺路・大辺路への分岐点となっております。
その昔、城下町だった旧田辺市街地は、迷路の様に複雑に入り組んだ町並みです。それにより参拝者が道に迷わないように道しるべとして市内に石碑が建っています。

中辺路ルート

秋津王子 (あきづおうじ)

秋津王子

藤原定家の熊野御幸記に秋津王子の名が初めて登場し、会津川の氾濫で、もとの場所は確定できません。その後も、幾度かの水害で移転をくりかえし、現在は秋津神社に祀られています。


万呂王子 (まろおうじ)

万呂王子

藤原定家の御幸記に秋津王子に参ったあと、「山を超えて丸王子にまいり」とありますが、現在、その山はまったく確認できません。明治10年頃、須佐神社に合祀され、その後は田畑になってしまいました。熊野橋から50mほど北の田の畦に標柱が建っています。


三栖王子 (みすおうじ)

三栖王子

藤原定家の熊野道之間愚記に「ミス山王子」と書かれていたのが始まりで、江戸時代には側を流れる谷川に王子社が映って見えたことから影見王子と呼ばれ、室町時代にはここから上三栖を経て潮見峠を越える街道が開かれたといわれています。社殿は水害で崩壊し、現在は珠簾神社に三栖王子跡があります。


熊野古道中辺路ルート
熊野古道 中辺路 八上王子へ

大辺路ルート

蟻通神社 (ありとおしじんじゃ)

蟻通神社

商店街の真ん中にあり、境内には楠の大木があり、江戸末期の大火災の時、枝々から白水を吹いて延焼を防いだという伝説があります。


 (とうけいじんじゃ)

闘けい神社

新熊野権現、新熊野十二所権現、新熊野鶏合権現、鶏合宮、田辺宮などなど、種々の社名のある神社で、熊野別当湛増が源平合戦の出陣にのぞみ、源平いずれに味方するかで紅白の鶏を戦わせた故事にちなみ、現在ではとうけいじんじゃと呼ばれています。


大潟神社 (おおがたじんじゃ)

大潟神社

元は若一王子社と呼ばれ、熊野古道大辺路に面して鎮座していましたが、昭和16年頃遷座し、明治になって大潟神社と改称しました。その後、合祀が行われ現在に至ります。


熊野古道大辺路ルート
熊野古道 大辺路 富田坂コースへ

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